冬の虹不安と遊ぶ笛と飛ぶ #2

2015年11月21日(土)富良野

 朝、あらためて見た旭川駅は記憶より10倍は大きくなっていた。とにかく横に長く、脇に大きなイオンと映画館、駐車場までついている。
 その駅中の物産館で、東京から来ている笛班Sさんとばったり会う。剣淵のスモークチキンや燻製玉子を二人して買い込み、また後で、とあいさつを交わす。

 11:33旭川富良野行に乗車。久しぶりの富良野線。一両編成の車内は混んでいる。その中に見知った顔をいくつも見かける。キハ150の音は細く上品で、美瑛の丘陵を登る時でさえ、極端に感じを崩すことはない。田畑にダイサギアオサギが佇んでいる。湿り雪が舞っている。小さな川でカワアイサのオスが2羽、争っている。1時間ほどの車窓。
 12:40富良野着。空が明るい。虹が出ている。Sさんと合流し、カラオケ屋で「鞦韆」を復習する。もっと指が回るように。昨日より動くように。
 カラオケ屋から出たら、殴りつけるような雪。目の前が白い。旭川よりは寒い。でも、雪は重く、気温の高さを示している。空知川に架かる五条大橋を渡る。雪は歩いているうちに止んでくる。

 

 1年ぶりの富良野のやは民家を利用した陶芸カフェ。ステージは奥座敷、客席はありあわせの椅子を並べた板間と畳の小上がり。
 重たい雪が降っては止み、止んでは降り出す。ステージの真横にある窓から、何羽もカラスが飛び交っているのが見える。ハシボソガラスらしい濁った声が響く。

 開演前、小さなお子さんを遊ばせていたお母さんが、「子供が騒いでしまうかもしれませんが」といったようなことを、吉良さんに尋ねている。吉良さんは「子供も音楽ですから」と答える。ZABADAKの地方ツアーについていくと、しばしば親子連れの姿を見かける。ZABADAKのステージは子供が泣いたり飽きたりした程度で揺らがない。むしろ子供のほうを惹きこんでしまったところを、今までに何度も見てきた。
 けれど吉良さん、客席の笛は音楽になっていますか。と、胸の中で問う。

 

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 15時、開演。昨夜のアンコールだった「もっと近くで」「遠い音楽」のメドレーから始まる。昨日から続いているようでいて、新しい今日。のやのステージは、あまり音を響かせず受け止めてしまう。そのためか今日は生音ではない。ハープのサウンドホールから出たケーブルが見慣れぬプリアンプに繋がっている。少しだけ背中を押しているようなPA

 

 「鞦韆」の出番は早く4曲目。この曲をやるのは旭川富良野のみ、と伺っている。これで最後だ。客席を見て笛を数える。一緒に練習したSさんの硬い顔。さっきまで、あんなに吹けていたのに。でも、わかる。私だってどこかが震えている。
 笛の入りは1番が終わって、間奏の半ばから。歌が終わる。1小節半たっぷり聞く。構えて息を入れる。恐れてもためらわずゆく。
 昨日より合っている、と思う。Cさんも昨日の迷ったところを直してきている。1日できちんと変わるなんて。すごい。嬉しさが力になる。昨日よりもう1本笛が増えている。これは今日から来た仙台のSさんの音。八分音符分、ずれてるところがある。
 うまくいけるか、と思ったら、みっともないほど足に震えが来た。少しだけ速くなる。みんなの笛がすっとついてくる。普段あんまりクリックに合わせて練習しないからか、他人の音に引っ張られやすい笛チームである。テンポを抑える。抑えられただろうか。
 聴かせどころが終わる。ここから一人二声のパート。アンデスは笛のくせに和音が吹ける。柔らかくうねりの出ないように息を入れる。横隔膜と喉、息の通り道全部を使って音を震わせる。ぶらんこのように優しく揺れればいい。自分じゃない誰かが、代わりに指を使っている気がする。その誰かが丁寧に指を置いてくれる。

 「うたがばしょにおいわいされている」

 かつて、この富良野のステージで歌うことを、そう誰かが言っていた。今、その「おいわい」の欠けらに触れた気がした。

 

 今日のメンバーは、吉良さんと林太郎さんだけではなく、ゲストが2名参加する。
 まずは、u-fullのYukaさん。華奢な体にアコーディオンを抱き、歌う。一息に歌いながら雲の端を目指す春のヒバリを思い出す。富良野平野を行くキハ150のようでもある。

 休憩を挟んで、今度はケーナサンポーニャの岡田浩安さんが登場。岡田さんの笛は奪うも寄るも自在。「コフルヤマ」の間奏では、まさにそこに欲しかった! という位置に音が入ってくる。旭川で二人「コフルヤマ」を聞いたときから、ここに岡田さんの笛が必ず来るだろうと待ち望んでいた。他の曲でも岡田さんの笛は必ず欲しいところに圧倒的に添うように現れる。練り込まれた筋立ての物語を読む思い。

 またYukaさんが入って、4人編成の「TEPHRA」「POLAND」はこの富良野だけの特別。窓の外はいつの間にか暗い。風の気配だけがある。
 歌える人は歌って、と言われた「光降る朝」は、1番はまずYukaさんのソロだろうと予想し様子を見る。伸びやかな声を慈しむ。2番から声を重ねる。客席から、ステージから、声が増えていく。

山を縁どる 木々の葉が風に落ちて 空が急に広くなれば
見慣れた峰が近くに見える 雲に届く梢が風に揺れてる

「光降る朝」ZABADAK 作詞:小峰公子

 特に大好きな2番の歌い始め。カシワしか葉の残っていない、まさに今の富良野を描いた歌をここで聴いて歌える喜び。

 

 アンコールの「EasyGoing」で締めて、ああ、富良野はやっぱり特別だなあ、と思っていたところで。もう一度「POLAND」をやるという。しかも今度は客席も一緒に、だ。
 岡田さんの笛の前に、我々のか細い音など吹き飛んでしまうだろうが、どうですか、と言われたならば、やってみよう。普段は客席側の笛と調和するように心がけている。しかし、どうせかき消えてしまうなら、好きなようにやろう。アンデスの唄口を外し、楽器に直接息を吹き込む。こうするとブレスでのコントロールがしやすくなる。笛らしく歌わせやすくなる。その一方で高音の伸び響きは悪くなる。
 かなり速いイントロ。客席のみんな頑張ろう、と小さく笑う。笛の出番がやってくる。岡田さんが吹くのは、よく知っている「POLAND」の笛とはすこし違う節回し。でも、さっき聞いたばかりだ。できる範囲で合わせてみる。普段は使わない装飾音をいっぱい入れる。アンデスは、アンデス地方の笛の音に似ているからアンデスと名付けられた。ならば、ほんのわずかでもステージにある本物のアンデスの笛に近づけるところがあるはずだ。圧倒的な音に自分のかすかな音を重ねる。揺らす。伸ばす。でも、届かない。音が足りない。

 終えてみて、やっぱり、これ、客席の笛要る意味あったんだろうか……と、途方に暮れる。こうやって大きな存在に翻弄されたことが、いつか経験として意味を持つ日がくるのだろうか。

 

 素晴らしいライブだった、という聴衆としての充実。「鞦韆」と「POLAND」、二つの難曲のほんの切れ端を担った客席笛チームとしての手応えと不甲斐なさ。
 大きなものを持て余し気味に抱えながら、帰途へつく。薄平たい雪が舞う。積もりそうな雪ではない。まだ痛みのような寒さが足りない。
 明日、もっと寒くなればいい。