心はいつもみちのくにあり(2011.3.25テキスト再掲)

「心はいつもみちのくにあり」

そう言ったのは、みちのくプロレスを離れてWWFに参戦する時の新崎人生だったかと思う。

僕は、明快な故郷を持つタイプの人間だ。
東京に住まうようになって10年になるけど、やはり一等いとおしい街は仙台であり、いつまでも魚くさいアニメイトや、広瀬川のそばにある仙台模型や、夢メッセという港のそばのホールでの同人誌即売会なんかが根底にある。

面白いもので、東北の人間はどこかではっきり東北と東北でないものの区別をつけているようだ。北茨城よりいわきの方がぐっと近しく感じる。隣接してんのにね。

大震災が起きてから、毎日のようにテレビに慣れ親しんだ街や地名が映る。
仙台だけじゃない。
多賀城、名取、石巻気仙沼東松島、南三陸
宮城だけじゃない。
陸前高田、山田に大槌、双葉、浪江……。

松島町民体育館のふく面ワールドリーグで見たダッコchanの壁伝い三角飛びは本当に素晴らしくて、南三陸つったら志津川町民体育館で50人くらいしか観客のいない試合、サンシャイン浪江で屈辱のデルフィン股くぐり事件。
古いみちプロ話ばっかりかよ!

被災地

という言葉で、引っ括られることを受け入れるには、僕はあまりに東北を知りすぎている。
かといって、傷を負った人の側に立つにはあまりに、今、安穏としすぎている。計画停電、まだ一度も当たってません! 僕、23区外住人なんすけど。ちょっと都会民ぶっていいべか? いっちゃね? おらほさ停電さ経験してねよ、こりゃ千代田区も同然だっちゃね?


会社の人間が悼む。私たちはユーザーのために、出来うる限りのことをしましょう。何ができるかを考えましょう。名取には仙台支社の人も多く住んでいました。津波で親を流された社員もいます。私たちも傷ついています。私の母は茨城で被災しています。云々。
おまえは名取を知ったかもしれない。それは宮城県の、仙台の南側に位置する空港のある小さな市で、仙台のベッドタウンで、名取川って川があることも、僕の知らない緯度経度もそらで言えるのかもしれない。
だけど、おまえは名取を知らない。僕が高校のマラソン大会で走ったサイクリングセンターのことも、閖上の朝市の汁の美味さも、ジャスコのそばにはおもちゃのビーヤングやスリランカセンターって名前のカレー屋があることも、山側は筍の産地だってことも、4号バイパスの荒れた舗装も、仙台市の南部に属する僕のかつての家が、しょっちゅう「名取」って言われてて、僕がキー! 仙台だっつうの! ってつどつど言い返してたことも。
おまえの言う名取には、実がない。皮ばっかりで、僕の名取を悼むな。なあ。なあ。
おまえのいう名取は、「被災地」かもしれないけど、僕の名取は背骨の先に繋がった街なんだ。名取だけじゃない。仙台も利府も色麻も亘理もみんな……みんな……。

けれど、僕にも悼む資格はない。
東北を離れて10年経つ僕は、仙台にパルコのあることをしらない。とらのあながあることも、ロフトがあることも知らない。僕の仙台にはまだジャスコがあって、イオンがない。まだステンドグラスの前では伊達政宗像ががんばってる。フォーラス前には水時計が残ってる。


僕はただ、胸に故里を抱きながら、離れたところで他人の口から飛び出す聴き慣れた地名に勝手に傷ついている。傷つく資格だって、ないのに。



***



僕が仙台出身なことは、話のつかみとして使いやすいから回りの人間は結構知っている。普段は便利なツールのひとつに過ぎないと思っていたが、今回、ずいぶん多くの人から安否を心配してもらった。

「皆さん、ご無事でしたか」

僕は言う。

「実家は無事でした」
「よかったですね」

問うた人が言う。こだまですか、いいえ。


僕は仙台で24歳まで過ごしてきた。仙台に、東北に、どれほど連なっていると思う。どれだけいるのかよくわからない親戚、同級生、先輩、後輩、かつての同僚、食えない社長、いい上司変な上司、ハンドルやペンネームしか知らない友人たち、TRPGコンベンションで卓を囲んだ人たち、ゲーセンで台を挟んで顔を見ずに相対した人たち、並んでみちプロを見た人たち、即売会ですれ違った人たち、その他、数多の一緒にいたはずの、多くの、多くの……。

もう、連絡は取っていない人たちがほとんどだ。

だから僕は、彼らの安否に胸を痛めれど、それを知る方法はないし、またそれを知ってどうこう思う資格もない。

心配することすら無意味。

それが縁を切る、ということなんだ。


それでさ。
皆さんって、どこまでを指すの。誰までが無事ならいいの。

人と人を分け隔てるその線を、どうして引かなくちゃいけないの。

僕は仙台七夕の雑踏ですれ違ったかも知れないすべての人が、生きてたら良かったのにって本気で思うよ。

でも、それはきっと叶わないことだから、それはわからないことだから、僕は、続けて言う。

「だけど、誰かは津波で流されてるかもしれない。もう、どうしようにもない」

聞いた相手の顔が曇る。
悪趣味な答えなのはわかってる。

安否てさ、安全は生きてるってことだろうけど、否、のほうは死であり、行方不明なんだぜ。
僕に今わかることは、慌てて葬式をあげに行かなくて済んだってことだけ。



心はいつも、みちのくにあり。

たぶん七夕の頃に行くから、それまで、待ってて。
 
(初出:2011.3.25)
 
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昔、mixiに掲載したこの日記です。古いテキスト晒すのつらい! 
これが「猫の都合をきいてきて」の大元です。
今回、「2017年文学フリマDebby Pumpアワード※個人の方が選んでくださる2017年度に文学フリマで頒布された同人誌に対しての賞。 の「最優秀小説冊子賞」に選出していただいて、うーん、なんでこの小説書いたんたっけなー、とか考えてたら存在を思い出したのでした。
 
これと、今期間限定で全文公開されている「猫の都合をきいてきて」を合わせて読むと、だいたい頭のほうのエッセンスは上記の日記に凝縮されてることがよくわかります。つらいな!