どうしても書けなかったペーパーの代わりに

先にお伝えした通り、10/28(土)、テキスト系同人誌即売会「Text-Revolutions6(通称テキレボ)」にサークル参加します。

 

現在の予定としては、これが最後のサークル参加です。11月の文学フリマ東京は申し込んでいませんし、来年のテキレボも今のところ参加するつもりはありません。

というか、まあ、同人誌即売会にサークル参加するのは、今回をもってしばらくお休みにするつもりなのです。

 

つもり、つもり、と歯切れが悪いな。けっこうさみしい気持ちもあるから、どうしても予防線を張っちゃうんだよ。

 

 

テキレボとの出会いは、2014年の年末。テキレボは同人誌即売会だけを指すのではなく、テキスト同人誌の感想サイトも運営しています。そのほかにも小説プロット会(今はテキレボが忙しくてお休み中らしい)を開いたり、テキスト系同人の全般をサポートする団体って感じです。

 

文学フリマで売っていた同人誌の感想を、感想サイトとしてのテキレボに投稿してくださった方がいて。(現在削除されていて読めません)

で、テキレボ運営の方が「こういう感想きてるけど掲載していいですか?」って連絡くれたんです。そのとき、感想サイトのテキレボを見て回ったら、同人誌即売会のテキレボ1がまさに参加サークル募集中で。

その頃、私は文学フリマでの活動に手ごたえのなさを感じいて、「もう同人誌作るのいいかなー? ウェブ小説も面白そうだしー?」とのんきなことを思っていたのですが、これも何かの縁かな、とテキレボ1にサークル参加を申し込みました。軽率に。

 

テキレボ名物のひとつに「テーマアンソロジー」という企画があり、サークル参加者限定で、お題に沿った4000字掌編を書き、それをアンソロ本としてまとめて頒布するという剛毅な企画があります。

いわば、テキスト屋にとってのサークルカットです。

1のお題は「はじめて」

人と被らない「はじめて」がいいなあ……と散々首をひねって書いたのが、東日本大震災発生数日後の、東京の隅っこの様子を描いた「はじめての高尾山」

その後、テキレボ1では「はじめての高尾山」の続編短編をコピー本にして出しました。

その、アンソロでの作とコピー本に、いくつかの感想を貰ったんです。会場で直接伝えてくださった方、あとからネットで言ってくださった方。

 

よく「感想は作家のやる気になります」なんておっしゃる方もいますし、それ自体を否定はしませんが、私は、そんなに感想そのものは求めていないほうでした。他人をモチベーションの源泉にしていたら、それが枯れたとき何もできなくなってしまう。そんなの怖い。

ただ、感想はなくても、読者、読んでくれる方の存在はやっぱり必要で。

なぜなら、私は「小説は誰かが読むことで、はじめて小説として完成する」と考えているからです。だから、発表する必要があるし、読者と出会う必要がある。

 

文学フリマでは、買いに来てくれる人の多くが知人、未知の読み手と出会える実感が乏しく、そもそも部数も動かなかった。むろん自分に魅力がなく、自作を売るための工夫がなかった、というだけの話です。それで手ごたえのなさを感じるというのも責任転嫁ではあります。

 

それでも、いつもの調子で即売会に参加したら、テキレボは無料配布の短編コピー本を数十人の方が貰っていってくださった。その事実に、ここなら読み手と出会えるかもしれない、という予感がありました。その直感は間違っておらず、自分にしては望外の感想や「読みました」というネットでのリアクションを見つけられたのでした。

 

 

それから、年に2回のテキレボに欠かさず参加。アンソロジーに投稿する作を連作にしたら、いつかテキレボ投稿作だけで連作短編集が出来るんじゃね? 総集編とか出せたら面白いのでは? と思いつき、テキレボアンソロとテキレボ合わせの無料配布コピー本は、ずっとシリーズ連作という形にしました。

それはつまり、先述の「はじめての高尾山」の続きを書き続けるということで、奇しくも私は東日本大震災の及ぼしたものと、向き合うことになりました。

福島県楢葉町を皮切りに、福島、宮城、岩手。東北を訪ね歩き、半年に1度のテキレボに合わせてアンソロ1本、コピー本1冊分を書く。

2015年3月のテキレボ1から2017年4月のテキレボ5までちょうど2年、テキレボに支えられるように書き続け、最終的に「猫の都合をきいてきて」という一冊の本にまとまりました。

この本は、テキレボなくしては生まれなかった本なのです。

テキレボ主催の御拗さん、小泉さん、高検索マスコットれぼんちゃん、そして参加者、読者の皆様、私に一冊の本を書きとおさせてくれて、本当にありがとうございます。

 

私のほかにも、「即売会があるから間に合わせで捻出して本作った!」「アンソロ合わせでとりあえず書いた!」という参加者はたくさんいると思います。一つの場が実に多くの作品を生む土壌となっている。即売会、すごいな。

 

 

 

 

だからまあ、ずっとテキレボには出たいな、と思っていたんです。

だけど、去年の夏に、私にとっての東日本大震災と同じくらい、えらいことが起きたんです。東日本大震災が私の身体の故郷を傷つけ揺るがした出来事であるなら、そっちは精神の故郷が大きく崩れ揺らいだような出来事。

 

去年の夏以降、どうしてもその出来事が頭の中をずっと占めている。その夏に無理に書いた短編も、どうしてもその出来事を下敷きにしてしまう。

「もう、書けないのかもしれない」

去年は何度も一人でずっとそう悩んでいました。「猫の都合~」は先に作り上げていたキャラクターたちと東北に支えられて、なんとか書けた。

けど「猫の都合~」の完結後の今年の夏、いざ新しい話を書いてみようと思うと、どうしても、うまくいかない。1年経っても、その出来事から離れられない。

結局、テキレボ6分のアンソロも、その出来事のイメージを引きずったまま書いて提出してしまいました。

「もう、書けないのかもしれないなあ」

そう諦めて、テキレボ6でいったんサークル参加をお休みしよう、と決めたのです。

 

その代わり、その出来事と気長に付き合おうと思います。

東日本大震災の話を書き、自分の中で一つの落ち着きを得たように。といって、それも書くのに2年かかったし、何年かかるかわかりませんけどね。

 

テキレボ6の新刊無料配布「崖底で叫ぶ歌は空へ届かない」は、そうした自分の心境をまとめた本です。

その本にも収録した、テキレボアンソロ投稿作「醤油祭のはじまり」は「推しの人、大切な人がいなくなったら、みなさんはどうしますか?」という問いを内包していました。

その自分の問いに対する答えが「崖底で叫ぶ歌は空へ届かない」という2000字程度の短い作です。「さよなら木霊」という、他の本の続編も兼ねているので、そちらの作を読んでいない方にはわかりづらいところもあるかもしれません。

「さよなら木霊」はカクヨムで半分読めます。

さよなら木霊(斉藤ハゼ) - カクヨム

明日の頒布数も1冊!しかないので、後日の全編ウェブ公開も検討しています。

 

 

といったような内容を、本当は明日ペーパーにしてお配りする予定でした。

ただ、いざペーパー用と意気込んでテキストエディタに向かうと、もう目もあてられないほど書けなくて、ストレスで体調まで崩してしまって、やめたんです。

 

でも、前日の夜の今になったら、なんか急にするすると書けてしまって。なので、このままblogで公開にします。

 

では明日、浅草でお目にかかれれば幸いです。

C-19「やまいぬワークス」でお待ちしております。