テキレボEX参加しました!(しています)その3

その1 その2 の続き

 

以下は雑感。

 

テキレボありがとう

まずは、今回、テキレボEXを開催してくださった準備会の皆様に深い感謝を。前もテキレボは私に本を作らせてくれたけど、今度もまた新しい本を作らせてくれた。良い即売会は本の揺籃だ。ほんとうにいつもありがとうございます。

(事務作業の邪魔になるかと思って、発送荷物に何も入れずにおいたのに、ほんとは差し入れとかお手紙とか入れたかった~~~~!!!!)

 

印刷屋さんはえらい

今回、テキレボEXに出ようと思った動機のひとつに、時勢的に仕事が減って難儀しているときく印刷屋さんに、些少なりとも発注をしたかった。推しにお金を!

どちらの印刷屋さんも代価以上の良い仕事ぶりで、こんな少ないお金でこんなんしてもらって良いのかしら、という謎の気持ちは高まる一方だが。

 

 

ほんとうに雑記

どうしても書けなかったペーパーの代わりに

これは、2017/10/27、テキレボ6の前日に書いたものである。

このとき、私はもう同人誌を書いたり、同人誌即売会に出たりといったことは、二度とできないんじゃないかと思っていた。

だから、今日みたいな日が来るのは、陳腐な言い回しだけど夢みたいだ。むしろ夢なんて人に怒られたり、道に迷ったり、そんなんばかりだ。本を作るなんて幸福な日々が夢であるはずがない。

荷物を発送し終えた今、テキレボって実際にあったのかな、とすら、思える。

 

世の中ビールは美味しいし、日本酒は美味しいし、空は綺麗だし、猫は可愛いし、たまには人と肉を焼くのも楽しいし、他人の小説も漫画もすごく面白い。

けど、小説を作ることほど、脳も身も焦がすような火花を私は知らない。 

本を作るのは楽しくて、嬉しくて、辛い。「死ねばいいのに」と言いながら、かすかな光明に脳内物質を昂ぶらせる。その次の瞬間には「クソじゃん」って言って壁を殴って、また直す。そんなことの繰り返しだ。

小説は一人で作るから、好きなだけクソだなって言っていいし、好きなだけ自分を褒めていい。両方をフリッカーみたいに高速で繰り返せる。両極端を針が激しく振れる。

やっぱりね、人間だからね、他人のことをなかなかクソとは言えないし。そもそも、他人のことをクソだなとも思えない。

だいたいにして、結局のところ、他人は、どっか、いいのだ。

他人とやる何か、句会とかバンドとかそういうのは、いつも想像のつかない海だ。一人で一人の身を灼く光とは違う。人と空間と偶然が濃く淡く流れている。あと変な生き物とか成分いっぱい含まれてる。

 

きっと火花は海では消えてしまうし、海は火花みたいに速く光らない。

海は火花ほど純粋ではないし、火花は海ほど豊かではない。

どっちがいいとか、えらいとかでは、ない。

 

またしばらく海へ行く。

身を削って書く、という感覚は少し取り戻せたけど、少しだけだ。

この火花の感触を抱いて海に行こう。

 

今回の新刊「忘れてた君のうたが動脈の蛇口を壊してあふれだす春」の帯には「現実の二次創作」と書いた。一番自分に近くて、一番自分から遠い本。

そして既刊三冊「あまいものはじめました」「淡雪」「猫の都合をきいてきて」も、そのとき、そのとき、全力で作った。

どれもささやかだけど、確かに、火花。

どうか、誰かのところに届きますように。